社会でルールを守る、それは大切であろう。しかし、そもそもルールがどうやってできているのかという問題がある。ルールを作っている者がいるはずである。ルールを作るものは自分にとって有利にルールを作るはずである。
人と人の間には利害対立がある。店は高く売りたい、客は安く買いたい。店は悪い商品であっても文句を言って来ずそのまま終わって欲しい、客は金を返すなりきちんとした商品を渡して欲しい。経営者は給与を払いたくない、従業員はたくさん給与を欲しい。税金は自分以外の人が多く納める制度にして欲しい、節税制度を自分に有利にして欲しい。その他・・・。
政治家の与党・政権とかそれのグループの人は自分に有利な法律にしようとするであろう。もちろん、自分たち以外の人には全く恩恵がないようなことにはしないであろうが、それはあまりにも大きな不満を起こさせないためのことに過ぎない。
誰が政権を取るか、選挙で多数を取ったものである。自分の利益・自分のグループとなる側が負けると、相手サイドに好きなように政治をされうるわけである。もちろん、憲法という規制はある。
そして、デモをしたり、行政に意見を言ったり、署名を集めたり、苦情を言ったり、そういうことをしないと、政権の好きにされて自分に不利な社会になったり、店屋の好き放題にされたり、逆に客に好き放題にされたり、経営者にひどい労働条件で働かされたり、逆に従業員に好き放題にされたり、というようになりうるわけである。
ルールといっても、制度といっても、法律といっても、それらは誰かが作っていて、誰かに都合よくできていて自分に不都合にできていて、自分たちサイドに有利に作らないと自分たちに不利にされてしまうということがありうるわけである。そもそも、公平な制度・法律・ルールといっても、公平なんていう基準があるのかという問題があるであろう。