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嫌な医療を受けないために

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嫌な医療を受けないために

 著者は各自の健康に関して責任を負いません。当ブログを各自の健康に反映させるさせないなどの問題に各自がどのようにされても、著者は責任を負いません。

 さて、医者の行う医療で健康被害を受けたらたまったものではないと思う人もいるであろう。ある医療を受けたくなければどうすれば良いか。病院へ行かなければすむわけである。もちろん、
病院へ行く行かないの結果に著者は責任を負わないし、受けたくない医療があり、それを受けないためにどうすれば希望がかなうかという話である。

 病院は医者の領域である。もちろん医者が勧めることを拒否できるが、そこは医者の領域である。他人の領域で議論して、勝とうと思っても難しいであろう。医者がやっている講演会だって、医者の書く本だって、相手の領域である。もちろん自分が違う意見を持つことはできても、ここの場ではこれが偉いと決めているのは相手である。そんな場で議論して勝とうと思うことが難しい。議論して負けたくなければ近寄らないことだ。

 自分だって、自分が何かの集まりを主催した場合、自分が運営しているのであるから、そこでのルールは自分で決めることができるであろう。

 「健康の会」とかいうのを例えば作り、そこで健康のためにこれをしようとかいってメンバーでやった時、そこは医者なんて関係ない場にすることができるだろう。医者がこれこそ俺の出番とかいって出てきても、ここは健康のために無農薬野菜を作って食品添加物を使わず食べる会なので医者は関係ないとすることもできるであろう。自分がルールなのだから自分の好きにできる。医者、そんなの関係ない、どうでもいい、それをそこのルールにすればすむ話だ。自分がルールなのだから医者と議論したってそこでは勝てるであろう。そこは自分の領域だ。

 別に医療に限らない。TPPにどんな意見を持つかでも、講演会で聴衆がどんな意見を持とうが自由であったとしても、主催者や講演者がそこを動かしている以上、
主催者や講演者に力がある。賛成の会ではその意見が、反対の会ではその意見がすばらしいというルールが用いられるであろう。

 学校に行っている時、学校ではどう評価されようが別の場では全く違った評価であったり(例えば習い事や親戚からの評価)することがあるかもしれない。学校でも教員によって自分に対して違った評価をするかもしれない。評価する方は俺がルールだといって評価してくるのだから、人によって評価が違うことはありうるし、自分がその評価を重視すればする程相手の世界へ飲み込まれることになる。

 そこの場を運営している人がそこでは偉い人になる、基準になる。近づいて議論しても相手の領域で議論したら負けてしまう。近づかないことだ。自分の運営する場、自分の領域にいるべきだ。相手の評価を気にすればする程、相手の世界に飲み込まれる。その社会での権威とはかってな思い込みである。それに合わせようとする程、相手の世界に飲み込まれる。

 さて、このブログを読んでいただいておられます皆様、ここはこの記事の著者のフィールドです。ここはこの記事の著者の価値観にコントロールされております。著者の価値観が基準となっております。そういうことであろう。
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